近況のご報告です
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愛しの母 としこ
2009.4.28

長い間 ご無沙汰しておりましたが、皆様にはお変わりございませんか?
実は2月27日昼時、私は突然 日本から母が亡くなったと言う急な知らせを受けて、慌てて郷里の福井に飛び、7週間ほど日本に帰っておりました。 滞在中は、福井で母の通夜、葬式、忌明けを滞りなく済ませ、またこの間 大坂、東京、名古屋にも出向き、多くの知人友人と親交を温めも致しました。そして 漸く今週 ニュージランドに戻ってくると もう
木葉が散り始め、肌寒い晩秋の季節になっておりました。この世は 諸行無常ではかない物ですが、
母が亡くなっても、生前 私達兄弟7人に幼い時から生活の場で話し諭してきた母の言葉が、今尚 私の耳に深く残って心身に染み渡っていますので、これからも母の言葉や思いでを通して私の側に何時までも母ガ生きているような気が致します。

 日本海を背にして 私と母
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 母、私、娘(孫)、ひ孫の 4代そろって 
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私や孫達がこの世に居るのも、父母のお陰なので、少し母のことを語ります。
お釈迦様は 「 人生は苦であり、 苦の原因である煩悩を知り、 それを消滅させる修行実践の場が 今を生きることである 」とおしゃっておられます。 振り返ると 私の母は無意識にその言葉とおりの人生を謳歌したような気が致します。
風向優美な富士山の麓でスクスク育った母が、雪の降る寒い日本海側の片田舎である福井県鯖江市の旧家(藩のお抱え漆職人)の家に嫁入りして、子供7人を年子で生みました。それだけでも大変なのに、その間 世界第2次大戦、福井震災を経験して、家財道具ごと町は焼き尽くされたために、先祖から受け継いだ父の仕事(漆屋と仏壇店)が破産したために、両親は途方にくれました。戦後は皆が貧しく漆器や仏壇などの高価な物の商いが難しかったので 父は書道の経験を活かし 手っ取り早く仏具店から看板屋に仕事をかえました。その父の店の隣に、母は育ち盛りの子供の食料を調達するために、駄菓子屋さんを開き、また見よう見まねで畑も始めました。母の駄菓子屋さんに田舎から柿売りがやってきて、果物も売るようになりだんだん食物商売が繁盛しだし、父も自分の仕事をやめて母を助けたために八百屋とレストラン経営にまで発展をして、屋号を富士山のように大きく成長するように願いをこめて 母は 株式会社“富士屋”と命名しました。
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その後 時代の波に乗ってスーパチエーン店や結婚式場まで拡張しました。私の幼い頃の母の記憶は、早朝から夜遅くまで1日中働いている姿しか思い出すことができません。
77歳で現役を退いた後も、93歳までゲートボールと畑仕事を楽しんでおりました。
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2年前の95歳までお正月の御節の煮物は母の手作りでした。
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by m-mitsue | 2009-04-29 21:35


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